KojimaDaigo BLOG

日常絵話 NichijoKaiwa

無用の用

 以前、美術教育の学会などが集まる全国的な合同シンポジウムに行ったら、これからの日本の美術教育をどうするか、というような話し合いを全国から集まった美術の先生や講師たちが朝から夕方まで、ほぼ一日掛かりでしていた。海外の大学の美術講師も来ていた。

 内閣府からは学校の美術の先生に「現代社会で『役に立つ美術教育』をしてくれ」という厳しい要請があるという。あれもやれこれもやれという無理難題があるようで、先生たちはそれに対応しつつも困惑しているようだった。そう、中学生の子をもつ知人からも、体育と美術は現代の受験戦争の中では「ナンの役にも立たない」と以前聞いた事がある。

 その会議のさなかで、日本美術教育学会の会長であり大阪大学名誉教授の神林恒道氏が、ドスの利いた関西弁で、芸術、美術などというものはそもそも「無用の用」なんだ、というようなことをアカデミックな要素も交えながらみんなの前で整然と話した。

 そうか、「無用の用」か。

 最前列の真ん中で聴いていた私は深く納得する話でえらく気に入ってしまった。

 美術や芸術というやつはあまりにもつかみどころがなくて、まず正解というものがない。芸術論とかそういった話は色々あるのだろうけど、結局最後はこの一言で片付くのではないか。自分からすれば紙クズでも、他人には惹き込まれて快感を得る絵というものが世間にはあるのだ。遊びが直接何かに役立つわけではないが、遊びから得られることはたしかに多い。


 組織も権威も信頼も経済も個性というやつも、今日という日があればそれで良い人にとってどうでもいいことばかりだが、目に見える物には色、形、素材が必ず備わっていて、美術から人は逃れることが実は出来ない。だから美術論なんかどうでもいいというつもりはない。むしろ色々な美術論、芸術論があっていいし、それを読んだり聞いたりするのも楽しみでもある。

 ただ少なくとも個人への優しさがどこか無くてはならないとは思う。それは「配慮」という意味ではなくて、単に「愛情」の様なものだ。

 これから美術は、純粋美術にせよ応用美術にせよ、ますます個人に向けて「付加価値」としての威力を増していくのに間違いはないが、一方ではさらに「無用なもの」としてのイメージも増幅されるに違いない。そちらの方が圧倒的に多いだろう。あって当たり前になるし、美術を提供する側も割り切った考え方が必要となるだろう。

 随分前になるが、全盲で子育てをする女性のドキュメンタリー番組をテレビで見たことがある。六歳の一人娘は三輪車で母親をスーパーに連れて行き、二人で買い物をする。子供がキャベツやトマトのありかを母親に教え、またお互いに様々なことを伝え合う。小学校の入学式にも行く。母親が記者に言う。

「この子は、目が見えることの素晴らしさを教えてくれる」

 私にとってはその母親の言葉から教わる事はもの凄く多い。(つづく)



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