KojimaDaigo BLOG

日常絵話 NichijoKaiwa

アートの来た道

 人類最古の絵画、原始時代に描かれた「ラスコー洞窟の壁画」は、諸説あるだろうけど結局のところ「記録画」だったのだろうと私は勝手に思っている。

 その後農業革命が起きた古代には装飾・呪術美術が盛んになって「装飾画」が表わされるようになった。

 中世では宗教勢力が大きく力をもって「宗教画」が、近世では権力美術としてのあらゆる意味での「肖像画」、近代に入って商業美術としての「産業画」、現代では絵の印刷・映像美術が発達して個人のものとなり、「趣味画」が発生し広まったのではないだろうか。そこには当然マンガやアニメも含まれている。

 私はキチンとした美術教育を受けていないし美術評論家でもないのでこれらはあくまで私見で、門外漢のタワゴトとして読んで頂いても構わないが、人類の美術はおそらくそういう経緯を辿ったのではないだろうか。ちなみに「産業画」「趣味画」は私の造語。


 原始記録画は、のちに人の話す言葉との相乗効果で「文字」を誕生させ「文章」を作り、古代装飾画は「社会組織とファッション」を生み出し主張することを覚え、中世宗教画は「権威と勢力」を勃興させ、近世肖像画は「象徴と信頼」を意識させ、近代産業画は「市場経済と工業化」を促し、現代趣味画は「個性とマニア化」へと導いている気がする。応用美術の発展とも受け取れる。

 原始時代には必要なかったし意識さえしなかったものを美術、絵画はグイグイと人間の感性から引き出し、個人一人一人を覆ったものへと変化していっているのが分かる。

 穏やかに自然の中で素朴に暮らしていた人が、複雑な社会組織を意識させられ、そこに権威や勢力を見出し、やがて象徴と信頼、約束事などに追い立てられ、知らぬ間に市場経済や工業化に脅かされ、振り回され、気づけば半ば強制的に差別化と個性とマニア化に苛まれていっている、という風にも見える。

 組織も権威も信頼も経済も個性というものも、目の前に食い物があればそれで良かった原始の人にとってはおそらくどれもこれもが「それがどうした」ということばかりで、俺たちはどれもムリヤリ学ばされて億劫な感じがしないでもない。

 だが原始人がその原始的に手にしたテクノロジーで、思いを絵に表わして他人に分かってもらいたい、という純粋でシンプルな行為、記録画のようなものがたぶん絵画制作の原形だったのではないだろうか。それが私にとっての純粋美術、純粋絵画だ。

 原始時代の壁画みたいなものは、実は世界の至るところにあっただろうと想像している。壁画を見たその当時の周囲の人々は、あの牛や鹿の絵を観てどう思ったのだろうか。またどんな人がどんな思いであの絵を描いたのか。

 面白がって描いたら、

「オッ、いいねえ」と言う人もやっぱりいたと思う。

「そうそう、そんな感じだったよね」

「あん時、ツノ怖かったよなあ。ケガ大丈夫?」

「でも大きいのが穫れてよかったよなー、みんな喜んでたよ」

「また次も頑張ろうね。オレ新しい石斧削っとこうかな」

…なんて感じで盛り上がっただろうか。さらには原始人の手形や手垢が沢山残っているらしく、どこか優しさがあって私はあの絵が大好きだ。(つづく)



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