KojimaDaigo BLOG

日常絵話 NichijoKaiwa

初めての個展

 最初の個展の時の作品価格は、一点五千円から数万円位で、一週間の会期で十数点か二十点近く売れた。それは知人が三点位、あとは見知らぬ絵画の愛好家が買って下さった。 

 もともと知人に絵の好きな人などほとんどいなかったし、絵画の話のできる友人などいないところで絵を描いていたのだ。 
 しかし一人、東京芸大出身の大手広告会社のデザイナーで、趣味でずっと絵をやっているKさんがいた。絵で親しかったそのKさんの個展に誘われて行ってみたら、Kさんがその会場となっている画廊の老主人のところに「この人(私のこと)も絵を描いているんですよ」と私を紹介。「作品があるの?」ときかれ、その時すでに旅行で描いたものがあったので、「えーっと、まあ」と言うと、「一度持ってきなさい」となり、見せに行ったら一発で「これならイケル」となった。
  個展を開くにあたって色々アドバイスして下さり、というよりも、ほぼその画廊の関係者に宣伝から設営、接客、売り込みのほとんどをやってもらった。
  作品価格だけは自分で決めたけど、あとはほぼ言われるがまま。当時の本業に追われてあまり時間もなかったし、やり方も知らないしで、もちろん会期中に私はほとんど不在であった。準備で「そんなことまでするのー?」と面倒な顔をすると、「どうしてもやらなきゃならない!」と周囲の方達に叱咤激励、鼓舞された。 
 当時は自分が描いた絵にサインなど無く、それは専門家に言わせれば「責任逃れ」で「どうしても必要なもの」であるらしいと、それまでにも指摘を受けていた。そこでもやはりサイン無しではまずいから書いて欲しいと言われ、40点くらい展示作品あったから割とぞんざいにその場でそこらへんにあったボールペンでザクザク書いたら画廊の女性達からも「こんな小学生がイタズラ書きしたようなサインでは…」とあきれられてしまった。
 
    しかしまあそうやって何とか会期初日を迎えた。そこで初めて「絵を買う人」がいることに気づいた。売っておきながら言うのもナンなのだが俺の絵を買うなんて…、と正直驚いた。 
 この時まで、頼まれた絵を描いて報酬をもらう請負のケースはあったが、純粋に自分の創作で描いたものを販売することなどほとんどなかったし、もとはといえば売る為でもなかったから買う人がいるとかいないとか以前の問題だった。 
 その中にはプロの高名な超ベテラン画家もいて、私の不在中に作品の購入予約を入れて下さっていたらしい。これには私だけでなく画廊関係者もさすがに驚いていたようで、その時の模様をその画廊の女性が「これはすごいことなんだ」と興奮気味に話すのが今思えば可笑しかった。(高名といっても、門外漢の私には誰だか分からなかった) 
 後日私も直接お会いしに行ったのが、その方が理事をされている団体の定例美術展。 大規模なピカソ展などもやる愛知県美術館の中でも最も大きな会場で地元東海地方の有力新聞社やテレビ・ラジオ放送局、各地の教育委員会などが支援しておりその偉容さにやや圧倒された。まっしろでだだっ広く天井も高い受付でおたずねしたところ、そこから控え室に受付の女性が呼びに行く距離がやたら遠いのを妙に覚えている。 
 遠くからヒョコヒョコと小柄で痩せこけたヒゲの老人が歩いてくるのが見えた。その後方にはスーツを着た「お付きの人」らしき数人の男性も見張っていた。見た感じ80歳は越えている。こちらから挨拶をしたが、老人は面倒くさそうに黙っていて、私を睨みつけながらいきなり「あんたポロか」とぶっきらぼうに言う。「ポロ?」ときき返すと「プロか!」と怒鳴られた。「いやプロじゃありません」と答えると、ざっくばらんに「ああ、あんだけ描けりゃあ上等だ」と言った。 
 画廊の話のよると、この関西出身の日本画家は、画廊で絵画展示をする時によく来る、滅多にヒトの絵を褒めない「酒飲みのムツカシイおじいさん」らしいのだが、私の絵と個展そのものをいくつかの要点を細かく挙げながら「この人はとてもいい」と言ってめずらしく喜んで帰ったのだという。初めて個展をやったのに、そんな出来事があってやつらが多少興奮するのも無理ないなと思った。(つづく)
 
 小島大吾 ロードアート事務局
 
美術出版 原青社